近年、産業界におけるデジタル化の波は、製造業や重要インフラ分野にも大きな変革をもたらしています。特に、従来は独立して運用されていた運用技術(OT: Operational Technology/オペレーショナルテクノロジー)システムが、情報技術(IT)システムと統合されつつある現状は、効率性と生産性の向上をもたらす一方で、新たなセキュリティリスクを生み出しています。

本コラムでは、OTネットワークセキュリティの現状を詳細に分析し、その重要性について深く掘り下げていきます。

OTとは?

OT(Operational Technology、運用技術)とは、物理的な装置や工程を監視・制御するためのハードウェアとソフトウェア技術の総称です。具体的には、バルブやポンプなどの物理的な装置や工程の変化を検出し、制御する技術を指します。OTは、発電所の制御システムや鉄道の制御ネットワークなど、産業設備や重要インフラの運用に広く利用されています。

OTとITの統合がもたらす新たな脅威

ITとOTの融合による変化

従来、OTシステムは物理的に隔離された環境で運用されることが一般的でした。しかし、Industry 4.0やSociety 5.0といった概念の浸透に伴い、生産効率の向上や柔軟な運用を目指して、OTシステムとITシステムの統合が進んでいます。TXOneとフロスト&サリバン社の共同調査「OT/ICSセキュリティレポート2023」によると、世界的に統合型IT-OTネットワーク(48%)とハイブリッドネットワーク(28%)が好まれており、合計で76%の企業がこれらの形態を採用しています。

この統合は、生産性の向上や運用の効率化といった利点をもたらす一方で、サイバーセキュリティの観点からは新たなリスクを生み出しています。OTシステムが外部ネットワークと接続されることで、従来はITシステムに限定されていたサイバー攻撃の脅威が、OT環境にも及ぶようになったのです。

OT環境におけるセキュリティリスクの増大

OTとITの統合により、サイバー攻撃の対象領域が拡大し、攻撃者にとっては新たな機会が生まれています。同レポートによると、97%の企業がITインシデントがOT環境に影響を及ぼす可能性があると回答しており、59%の企業がOTサイバー脅威のリスクにさらされていると認識しています。さらに、46%の企業がすでにOTセキュリティインシデントで被害を受けた経験があるとしています。

これらの数字は、OT環境におけるセキュリティリスクが決して無視できないレベルに達していることを示しています。特に、重要インフラや製造業におけるOTシステムの停止は、単なる経済的損失にとどまらず、社会的影響や人命に関わる事態を引き起こす可能性があることから、その重要性は極めて高いと言えます。

OTセキュリティの現状と課題

セキュリティ対策の遅れ

OT環境におけるセキュリティリスクの増大が認識されている一方で、実際の対策は十分に進んでいないのが現状です。この背景には、以下のような要因が考えられます。

  1. サイバー攻撃の複雑化
    OTとITの統合により、攻撃手法がより高度化・複雑化しています。従来のOTセキュリティ対策では対応しきれない新たな脅威が次々と出現しています。
  2. セキュリティ人材の不足
    OTとITの両方に精通し、セキュリティ対策を適切に実施できる人材が不足しています。特に、OT特有の知識とITセキュリティのスキルを併せ持つ専門家は極めて少ないのが現状です。
  3. OT側とIT側の連携不足
    従来、別々の部門で管理されてきたOTとITの間で、セキュリティに関する情報共有や協力体制が十分に構築されていないケースが多く見られます。
  4. 長期運用を前提としたシステム設計
    OTシステムは、ITシステムと比較して非常に長期間(10年〜20年以上)の運用を前提としています。このため、最新のセキュリティ対策を適用することが技術的に困難な場合があります。

主要な脅威と攻撃ベクトル

SANSのICS/OT調査によると、OT/制御システムインシデントの主な攻撃ベクトルとして、
以下が挙げられています。

  • ITにおけるセキュリティ侵害
  • エンジニアリング専用端末の侵害
  • 外部からのリモートサービスによる不正アクセス
  • 公開アプリケーションの脆弱性をついた悪用
  • 添付ファイル付きスピアフィッシングによるドライブバイ攻撃

これらの攻撃ベクトルは、OTとITの統合によってより顕在化しており、従来のOTセキュリティ対策では十分に対応できない場合が多いのが現状です。

OTセキュリティ対策の重要性

社会的影響の大きさ

OTシステムは、製造業や重要インフラなど、社会の基盤を支える重要な役割を担っています。そのため、OTシステムへのサイバー攻撃は、単なる経済的損失にとどまらず、以下のような深刻な影響をもたらす可能性があります。

  1. 社会インフラの機能停止
    電力、水道、交通システムなどの重要インフラがサイバー攻撃を受けた場合、広範囲にわたる社会機能の停止や混乱を引き起こす可能性があります。
  2. 産業生産の中断
    製造業のOTシステムが攻撃を受けた場合、生産ラインの停止や製品品質の低下につながり、サプライチェーン全体に影響を及ぼす可能性があります。
  3. 安全性への脅威
    プラントや工場の制御システムが攻撃を受けた場合、機器の誤動作や暴走により、作業員の安全や周辺環境に深刻な影響を与える可能性があります。
  4. 機密情報の漏洩
    OTシステムに保存された製造プロセスや製品設計に関する機密情報が漏洩した場合、企業の競争力低下や知的財産の喪失につながる可能性があります。

これらの潜在的な影響を考慮すると、OTセキュリティ対策の重要性は極めて高いと言えます。

法規制とコンプライアンス

OTセキュリティの重要性が認識されるにつれ、各国政府や国際機関による法規制やガイドラインの整備も進んでいます。例えば、日本では経済産業省が「工場システムにおけるサイバー・フィジカル・セキュリティ対策ガイドライン」を2022年11月に発行しています。また、国際的には、ISA/IEC62443が産業制御システムのセキュリティ対策の国際標準として発行されています。

これらの規制やガイドラインへの準拠は、単なる法的義務の履行にとどまらず、OTセキュリティ対策の質を向上させ、組織全体のセキュリティレベルを高める機会となります。

効果的なOTセキュリティ対策の実現に向けて

包括的なアプローチの必要性

OTセキュリティ対策を効果的に実施するためには、技術的対策だけでなく、組織的・人的側面も含めた包括的なアプローチが必要です。以下に、主要な対策の方向性を示します。

  1. 可視化と資産管理
    OT環境内のデバイスやネットワークの構成を正確に把握し、継続的に監視することが重要です。これにより、潜在的な脆弱性や異常を早期に発見することができます。
  2. セグメンテーションとアクセス制御
    OTネットワークを適切にセグメント化し、必要最小限のアクセス権限を付与することで、攻撃の影響範囲を限定することができます。
  3. 脆弱性管理
    OT環境特有の制約を考慮しつつ、定期的な脆弱性スキャンとパッチ適用を行うことが重要です。直ちにパッチを適用できない場合は、代替的な緩和策を検討する必要があります。
  4. インシデント対応計画の策定
    OT環境特有のインシデントシナリオを想定し、迅速かつ適切に対応するための計画を事前に策定し、定期的に訓練を行うことが重要です。
  5. セキュリティ意識向上と教育
    OT環境に携わる全ての従業員に対して、セキュリティリスクとベストプラクティスに関する教育を継続的に実施することが重要です。
  6. サプライチェーンセキュリティ
    OT環境のセキュリティは、自社内だけでなく、サプライチェーン全体を俯瞰して考える必要があります。取引先や外部委託先のセキュリティレベルも含めた総合的な対策が求められます。

AIとの融合による新たな可能性

OTセキュリティ対策の高度化に向けて、AIの活用が注目されています。AIを用いた異常検知や脅威分析は、複雑化するOT環境におけるセキュリティ監視の効率化と精度向上に貢献する可能性があります。しかし、AIの導入にあたっては、OT環境特有の制約や要件を十分に考慮する必要があります。

人材育成の重要性

OTセキュリティ対策の実効性を高めるためには、専門知識を持った人材の育成が不可欠です。2024年は、資産オーナーやSOCサービス向けに、この分野でのスキル向上の教育プログラムが政府や業界で実施されることが期待されています。OTとITの両方に精通し、セキュリティ対策を適切に実施できる人材の育成は、今後のOTセキュリティ対策の成否を左右する重要な要素となるでしょう。

まとめ

OTネットワークセキュリティの重要性は、デジタル化が進む現代社会において、ますます高まっています。ITとOTの統合がもたらす新たな脅威に対して、技術的対策だけでなく、組織的・人的側面を含めた包括的なアプローチが求められています。

効果的なOTセキュリティ対策の実現には、経営層の理解と支援、専門人材の育成、継続的な投資が不可欠です。また、急速に変化する脅威環境に対応するため、最新の技術動向や脅威情報を常に把握し、対策を適宜更新していく必要があります。

OTセキュリティは、単なるコスト要因ではなく、事業継続性の確保と競争力強化につながる重要な投資であるという認識を、組織全体で共有することが重要です。今後、OTセキュリティへの取り組みが、企業の社会的責任と持続可能な成長を支える重要な要素となることは間違いありません。